本県のスカウト活動の歴史は、古く大正9年に西那須野に那須ボーイスカウトが芽生えたことに始まり県内各地に生まれた15の少年団により大正15年4月3日に栃木町(現栃木市)の神社、神明宮において日本連盟後藤新平総長を迎えて県連結成大会が行われました。
更に加盟団も増加し、昭和2年に少年団栃木県連盟を組織し、事務所本部を県庁内社会課に置いて規約を決めて活発な活動を続けていたが、昭和16年1月16日国民皆兵の戦時体制により大日本少年団が結成されその姿を消しました。
昭和20年8月15日太平洋戦争の終戦を迎え、翌21年11月3日戦前からの関係者が集まり「栃木県健児連盟」設立の準備を始めた。22年2月には連盟加入のための手引書「健児会設立の手引」を作成し、知事を顧問に佐々木耕郎を副連盟長に組織の確立・指導者の養成を図り、昭和24年9月栃木市において県連盟の結成準備会が持たれ、役員に連盟長市川清県教育長、副連盟長中鉢常正、中島金次郎、理事長に佐々木耕郎を選んだ。
そして10月12日ボーイスカウト日本連盟三島通陽総長出席のもと、県庁前の広場において栃木県連盟の結成式が盛大に行われ、小平重吉知事より県連旗がスカウト代表に手渡された。敗戦の虚脱感の中から奇蹟的な復活をした社会に、人心も安定して来た中で自由社会は鍵っ子を生み、非行、そしていじめへと複雑に変容する世相の中で、明日を担う青少年を育てるための運動としてのスカウト活動は県内に広く展開されて行った。
県内の仲間と交流する県キャンポリー、県カブラリー、全国レベルでの日本ジャンボリーへの参加や、国際的な活動としての海外スカウトとの交流への派遣に多くのスカウト達が参加して来ました。
公益財団法人日本ボーイスカウト栃木県連盟は、公益財団法人としての付託に応えるとともに、スカウト運動の価値をより高め、栃木県内における青少年運動の中核となり、健全な青少年を育成し、より良き社会人をより多く輩出するためにその使命を果たします。 栃木県におけるボーイスカウト運動を普及し、その運動を通じて青少年の優れた人格を形成し、かつ国際友愛精神の普及を図り、青少年の健全育成に寄与することに加え、公益財団法人ボーイスカウト日本連盟の平成25年度事業スローガン「スカウト運動の基本に基づいて、より良いスカウトを育てよう! ~まずは班制教育の徹底!~」と連携し、事業推進を行います。